キリシタンとバテレンの違いは?語源や使い分けはあるの?
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日本史を勉強していると、安土桃山時代から江戸時代の初期にかけて、日本にキリスト教が布教されるようになっています。
その後、鎖国を通じてキリスト教は禁止になり、「踏み絵」で信仰心がないということを証明させられているのは有名な話です。
この頃、キリスト教を表す言葉に「キリシタン」と「バテレン」が登場します。
キリシタンは主に「隠れキリシタン」や「キリシタン大名」という言葉でよく使われています。
しかし、同じキリスト教についての内容であるはずなのに、「バテレン追放令」のように「バテレン」と表現することもあります。
これでは正直ややこしいですよね。
そこでこの記事では、「キリシタン」と「バテレン」の違いについての説明や語源だけでなく、日本史のテストによく出る元号や内容もしっかりと説明いたします。
キリシタンの語源と意味
キリシタンという言葉の語源は、ポルトガル語の「Christao」(クリスチャンのポルトガル語)が音源化した言葉になります。
意味は「キリスト教の宗旨」「キリスト教自体のこと」そして「信者自身のこと」になります。
つまり、キリスト教信者そのものを表します。
キリシタン大名とは
日本史でも登場するキリシタン大名とは、キリスト教に入信した大名や高禄(よいお給料をもらっている)武士のことを指します。
有名なキリシタン大名の一覧はこちら。
- 大村純忠(肥後)
- 大友義鎮(豊後)
- 有馬晴信(肥前)
- 高山右近(摂津)
しかし、このキリシタン大名たちはとある理由により棄教し、キリシタン大名であることを辞めます。
それが、豊臣秀吉から「説教師は仏教から無理に改宗させる、仏教を破壊するやつだ」という理由で宣教師が追い出された「バテレン追放令」なのです。
キリシタン大名が秀吉に言われすぐにキリスト教を捨てたのは、純粋にキリスト教を信じていたのではなく、ほとんどのキリシタン大名は宣教師を通じてもたらされる利益を重視していたからだということがわかります。宣教師からの利益とは、近代兵器を取得できること、海外の優れた技術を手に入れることでした。
もちろん一部キリスト教を最後まで信じ切り、改宗に応じなかった敬虔なクリスチャンもいたのですが、大半のキリシタン大名は秀吉に言われて「わかりました」とすぐにやめてしまったのです。
バテレンの語源と意味
バテレンという言葉の語源は、ポルトガル語の「Padre(パードレ)」から変化したものです。
「Padre」とはポルトガル語で「父」「師父」という意味があります。そのためバテレンは「キリスト教そのもの」以外にも「宣教師や神父」を意味しています。
キリシタンとバテレンの違い
キリシタンはキリスト教を信じている信者そのもののことを表し、バテレンはキリスト教を教え広める宣教師や神父を表していることがわかりました。
似たような言葉にはなりますが、実際はキリスト教を教わる人と教える人で全く真逆の言葉なのです。
そのため、秀吉が追放したかったのは、「キリスト教を教える宣教師」であり、「キリスト教の信者」ではなかったということになります。
何故バテレンを追放したかったかというと、前述の通り、秀吉はキリシタン大名の大半が利益のためにキリスト教を信じているのを見破っていたからとされています。
宣教師がいなくなればキリシタン大名はキリシタンである意味の「貿易によるうまみ」がなくなります。さらに、キリシタンでいるという事は秀吉に逆らっているという意味になってしまうので、立場が悪くなってしまうのです。
これにより、秀吉は「キリシタン追放令」ではなく「バテレン追放令」を発布するに至ったのです。
日本史が苦手な人でもわかりやすいバテレン追放令の覚え方
秀吉が発布したバテレン追放令は、1587年(天正15年)の出来事です。
語呂合わせは「以後やな(1587)流れのバテレン追放令」と覚えましょう。
意味としては、敬虔なクリスチャンになった人からすれば、キリスト教が異端の宗教であると秀吉が明言したということになります。
そのため、クリスチャン(キリシタン)からすると、以後嫌な流れになった、という風に覚えると日本史としての大きな流れをつかみやすくなります。
キリシタンとバテレンを漢字で書くとどうなるのか
今でこそ外来語を主にカタカナで書くようになりましたが、当時の日本は新しく入ってきた言葉を漢字に書き換えるのが当たり前でした。
そのため、キリシタンとバテレンにも漢字表記がありました。
それぞれキリシタン=切支丹、バテレン=伴天連と表記します。
ところが、最終的な漢字になるまで紆余曲折あったことはご存知でしょうか。
詳しく解説いたします。
キリシタンが「切支丹」になるまでの流れ
最初キリシタンを漢字で表記した戦国時代には「畿利支丹」「貴理使旦」「吉利支丹」と書かれていました。
どの表記も「利」や「貴」「吉」など良いイメージのものばかりです。やはり、貿易や最新技術の享受など良いことも多く、信者となった大名にとって利益や吉報をもたらすものとされていた、当時のキリスト教に対するイメージがそのまま漢字になったのでしょう。
しかし、「吉利支丹」という表記は、江戸幕府5代将軍である徳川綱吉の名前に「吉」が入っていることにより、「吉」の使用が禁じられてしまったため消滅してしまいました。
また、徳川幕府としてもキリスト教は禁教とされてきたので良くないイメージの漢字として「切支丹」があてられるようになったのです。
バテレンが「伴天連」になるまでの流れ
バテレンはかつて「波阿伝連」などと呼ばれていましたが、のちに「破天連」「万天連」になり、最終的には「伴天連」の文字が定着しました。
「万」は「よろず」とも読めるので、日本の八百万(やおよろず)の神のうちの一人、ひとりの新しい神様としてカウントする風に使われたのでわかりやすい漢字をあてたと思われます。
「破天連」の文字は現在も辞書に「伴天連」の文字と併記されていることが多く、「伴天連」と同時期に長く使われました。
また「破天連」は「破天荒」とも似ており「破」という良くない意味の漢字が用いられているため、あまり良い印象を持たれていない時期に作られた漢字だという事もわかります。
「伴天連」という漢字があてられた理由
「伴天連」という漢字があてられた理由はそれぞれの漢字の意味を分解するとわかりやすくなります。
「伴」が「ともなう」という意味
「天」が「空(天空)」や「神」そのもの、「信仰の対象」という意味
「連」がそのまま「つらなる」という意味
つまり「伴天連」は「信仰の対象であるキリストの教えを連なって伴う」という意味になり、宣教師や伝道師の行動そのものを表す的確な漢字なのです。
キリシタンとバテレンは生徒と先生のような間柄だった
最後に内容をまとめると、「キリシタン」と「バテレン」はどちらもキリスト教自体を表す場合はほぼ同じような意味になります。
しかしキリシタンは「キリスト教を信じている人そのもの(信者)」を表し、バテレンは「宣教師・伝道師・神父」を表していることから、生徒と先生のような間柄の意味にもなることがわかりました。
この言葉の意味や成り立ちを知っていれば「バテレン追放令」を間違える事はなくなるでしょう!
それでは最後までお読みいただきありがとうございました。