日本語で誤用がそのまま定着してしまった言葉5選!正しい意味も解説

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日本語 誤用 定着

言葉というものは、長い時間をかけて様々に変化します。しかしだんだんと時代が下っていくとまさかの変化を遂げることがあります。
まさかの変化というのは、「誤用」です。

似たような言葉や響き、字面だけで意味を間違えて使ってしまうということはよくあります。
しかし、誤用だったはずの意味がメインの意味に代わってしまったというケースもよく見られるのです。

この記事では、誤用が定着してしまった言葉やその理由、正しい意味を解説いたします。
明日誰かに話したくなる日本語のトリビアとして、また日本語を好きになるきっかけとして、楽しんでいただければと思います!

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姑息な手段の「姑息」は悪い意味ではなかった

「姑息な手を使いやがって」「姑息な手段だな」というように、卑怯という意味で使われる「姑息」という言葉がありますが、本来はマイナスの意味では使われていませんでした。
本来の「姑息」の意味は、「その場しのぎ」「一時的に間に合わせること」「とりあえずの手段」という意味なのです。

「姑」はしばらくという意味の漢字です。そして「息」は呼吸という意味ではなくここでは「やむ」という意味で使われています。
直訳すると「しばらく止む」となるのです。

ではどうして今のようなマイナスのイメージにすり替わってしまったのでしょうか。

「その場しのぎ」が「それらしく見せだます」に変わった

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姑息、を正しい使い方で表現した文章の例としては、
「姑息なやり方ばかりするから、あいつは卑怯者だ」
となります。

正しい意味通りに説明すると「その場しのぎのやり方ばかりするから、あいつは卑怯者だ」になり、違和感なく伝わります。
しかし、「一時しのぎ」「その場しのぎ」というのは「とりあえず今だけ」という意味になりますので、この例文だと「姑息」がかなりマイナスの意味になっています。
そのため、ただの間に合わせで適当という意味が強くなってしまい、そのうち適当に済ませてそれらしく見せる卑怯なこと、になってしまったのです。

不束者はもともと立派な人のことだった

「ふつつかものですが、何卒宜しくお願い致します。」と言われると、「未熟者ですがよろしく」「気が利きませんが何卒お願いします」という風にへりくだった挨拶と捉えられます。
「ふつつか」という言葉自体がネガティブな意味を持ち合わせています。

漢字では「不束」と書きますが、この字は当て字で後から出来たのです。

実は、「ふつつか」はもともと「太束」と書いていました。
「ふつつか」の語源は「ふつ」が太いこと、「つか」が稲を束ねたものを数える単位でした。(ひとたば、のような使い方です)
そこから、「ふつつか」とは「太くてしっかりしている」「立派で丈夫」という意味で使われていたのです。

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あの有名な源氏物語の中でも
「ふつつかなる後見(うしろみ)まうけて」=「立派な後見人」として登場しています。

ではどうして「不束」は「未熟者」「気が利かない」という意味にすり替わってしまったのでしょうか。

太いものは野暮ったいと思われていたから「太束=不格好」という意味になった

太くて丈夫なものは立派だと思われがちですが、太いだけだとでくのぼうだと思われて野暮ったいイメージになりますよね。
そのため、次第にもともとの「立派でしっかりしている」という意味と併用して「野暮ったい」「不格好」「おおざっぱ」という意味でも使われるようになりました。

しかし、江戸時代になると、「野暮ったい」「不格好」「おおざっぱ」という意味だけが先行し、「行き届かない未熟者である」「教養がない人物」「気が利かない」という意味で定着し、それが現代に続いているのです。こうしてもともとの意味であった「立派である」という意味は完全に消滅してしまいました。

こうして江戸時代の「誤用」は現代の「普通」になりました。

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「マジ」という言葉はじっと見入る様子を表す言葉だった

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若者を中心によく使われる「マジ」という言葉があります。もともとは「真面目」という言葉の二文字を取り、「真面目に言っているのか?」と聞き返す言葉や、「本気である」という意味になりました。
しかし、この「マジ」という言葉は、江戸時代から使われていたのです。

江戸時代の「まじ」は瞬きをしながらもじっと何かに見入るさまを表す言葉でした。
今でも「まじまじと」という言葉にその名残があります。

では、どうして江戸時代と現代で同じ「まじ・マジ」という言葉が変化したのでしょうか。

「マジ」は300年以上経って戻ってきた特殊な言葉

江戸時代の「まじ」はじっと何かに見入る様を表していましたが、そこに「目」を足すことによって「緊張して目をしばたかせるくらいの真剣なまなざし」「本気の顔つき」「誠実な目つき」をあらわす「まじめ」という言葉ができました。
その顔の様子をそのまま文字にあてたのが「真面目」という言葉です。
ただ物事をじっと見ているだけだった言葉が意味を持ち、当て字が追加されたことで意味が追加され、そしてもともとの意味をほとんど失ってしまいました。

そこから「真面目に」「真剣に」という意味をさらに短くあらわしたのが「マジ」なのです。

つまり、300年以上の時を経て、「まじ」「まじめ」「マジ」に変換され、意味は違えど言葉が戻ってきた特殊な例になります。
2021年現在ではその「マジ」さえも短縮され「マ」と表現されています。言葉はどんどん簡略化されていく良い例です。

檄を飛ばすは叱咤激励の意味ではない

今の時代、「檄を飛ばす」というと、「叱咤激励する」という意味で解釈されますが、この使い方は完全に誤用です。
正しい意味は「自分の主張や考えを、広く様々な人に報せ、それに対して同意を求める事」になります。

ではどうして「激励する」という意味にすり替わってしまったのでしょうか。

「檄」とは中国で使われた木札のことだった

そもそも「檄」というのは、昔中国で使われた木札のことです。役所が急なお知らせを記し、民衆に広く伝えるために使われました。
今でいうところのテレビを見ているときに画面上部に現れる緊急ニュースのような役割に近いものです。

そこから「檄を飛ばす」は本来の「主張や考えを広く知らせて同意をもらう事」という意味の言葉になったのですが、誤用された理由は単純です。
「檄」と「激」で文字を取り違えてしまったから、なのです。

「叱咤激励」の「激」と「檄を飛ばす」の「檄」を取り違え、「激励を飛ばす(相手に向かって放つ)」という意味にすり替わってしまったのです。
しかし、「檄」という文字には先述の通り「激励」の意味は全くありません。

現在ではあまりにも「激励」の意味で使われているので「激励を飛ばす際に使う事もある」と併記している辞書も登場しています。

悪運が強いは悪人に使う言葉だった

「悪運が強い」と言われると、「不幸にあっても被害を受けない強運の持ち主」という意味でとらえられますが、実際は違います。
本当の意味は「悪行を働いても、その罰や報いを受けずに栄える・良いことが起きること」なのです。
つまり、悪人に対して皮肉めいて使うような言葉でした。

では、どうしてこのような誤用に繋がってしまったのでしょうか。

悪運=悪い運とそのまま思い込んだ

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「悪運」という文字だけを見ると、「不運」「悪い運」に見えますが、厳密には少し違います。
正しい「悪運」は「悪行を働いても報いを受けずに栄えていく運」のことなのです。

そこから「悪い出来事に遭遇しても被害に遭わない(最小限の被害で済んだ)」という意味にすり替わってしまいました。

現在は「悪運」という項目に「運が悪いこと」と併記する辞書も増えてきています。
しかし、言葉をしっかりと理解されている人や、本来の意味を知っている人に「悪運が強い」と言ってしまうと、気分を害してしまう可能性がありますので気を付けなければいけません。

言葉の誤用は日本語の長い歴史の中の1ページ

様々な時代に起きた言葉の誤用をいくつかご紹介しましたが、現代の辞書にも誤用が併記されているように、誤用が本物になることもあります。
誤用というとマイナスの意味もありますが、長い年月をかけた言葉の歴史と変化ともとらえられます。

50年60年が過ぎ、「マジ?」と言っても通じない、もしくは「まじまじと見る」という本来の意味に変化している世の中になるかもしれないのです。
正しい言葉遣いに気を付けながら、言葉の変化を楽しむのも面白いですよ。

それでは最後までお読みいただきありがとうございました。

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