飛鳥の読み方はなぜ「あすか」?難読漢字の語源やルーツに迫る!
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日本語を勉強していると、時々当て字としか思えない単語にぶつかることはありませんか?
地名や苗字などだけにとどまらず、日常生活の中に難読漢字はあふれかえっています。
例えば「飛鳥」という単語について注目してみたとします。普通に読もうと思えば「ヒチョウ」「ヒとり」と読めそうですが、大半の人が「あすか」と読むということを常識として知っています。飛鳥寺、飛鳥時代など多くの場所で使われている難読漢字です。
では、「飛鳥」を「あすか」と読むようになった理由や語源が万葉集がこの世に登場した時代より前にあったというのはご存知でしょうか。
この記事では、「飛鳥」という単語を例に、難読漢字の語源やルーツ、日本語の当て字はどうして出来るのかについて独自の視点で解説いたします。
そもそも「あすか」という言葉の語源が3つある
「あすか」という言葉が出来た背景は3つの説があり、どれが正しいかはわかっていません。
それぞれの説を簡単にご紹介いたします。
イスカという鳥が奈良に多くいた説
こちらがその「イスカ」という鳥です。
体長は18センチ程度、スズメの仲間です。日本でも少し寒い地域に渡り鳥として主に冬にやってきます。
その年によって日本にやってくる数が違うことがあるようですから、もしかしたらとある時代に大寒波が訪れ、日本に多く飛来してきたという可能性はゼロではありません。
そしてそのまま飛んでいる鳥として「あすか」と当てたというのは自然な流れでしょう。
実際に鳥によって歴史が変わったことがあります。
中大兄皇子などが活躍していたころ、元号で「白雉(はくち)」というものがあります。この元号の由来は、天皇たちの前に贈り物として白いキジが用意されたことにあります。
この時天皇が白いキジの綺麗さに神々さを感じたようで、感動のあまり元号を「白雉」にします!と突然変更してしまいました。
そのような歴史があったため、鳥の飛来説は一見安直にも思えますが、あながち否定できないのです。
住処(すみか)から変化した説
言葉が長い時間をかけて変化したという説もあります。
接頭語の「あ」に集落を表す「すか」(住処)もしくは砂洲を表す「すか」(洲処)が合わさって出来た説があります。
すみかとあすかなら似ていなくもないですからこの説もありがちですよね。自分たちが住んでいるすみか→あすかになったというわけです。
朝鮮系の渡来人の言葉「安直」が変化した説
古代から日本には大陸(今の中国や韓国)から渡来人と呼ばれる人々がやってきていました。
渡来人が日本で安住の地を見つけ、アンスク(安直)と名付け住み続けたとされています。その「アンスク」が「あすか」と変化したという可能性があります。
実は、大阪府にも「飛鳥」と呼ばれる地が羽曳野市にあります。この場所は百済系渡来人の飛鳥戸氏の居住地でした。
また、大阪府には現在も渡来人由来の地名がたくさんあります。
例えば大阪市内には「高麗橋」という地名があり、古代に朝鮮半島諸国の使節を迎えた「高麗館(こまのむろつみ)」があったからという説があります。
また、地名からは消えていますが、東住吉区には南百済小学校、百済公園、百済大橋が現存しており、一昔前には「百済駅」という駅まで存在していました。
ちなみに奈良と1本道でつながっている大阪府にもかなりの大陸から来た地名が残っています。イラストにしてみたので一例をご紹介いたします。
この地図を見ると、大阪の北から南までかなり渡来人に関わる土地の名前が残っていることが分かります。
そのため、この渡来人説もあり得る話です。
飛鳥の由来は万葉集の和歌だった
「あすか」という言葉の由来の説をご紹介しましたが、では「飛鳥」が「あすか」と読むようになったのはどうしてでしょうか。
それは、万葉集にこのような和歌が残っているからとされています。
飛鳥(とぶとり)の明日香の里を 置きて去なば(いなば)君が辺(あたり)は 見えずかもあらむ
原文:飛鳥 明日香能里乎 置而伊奈婆 君之當者 不所見香聞安良武
作者:元明天皇
意味:明日香の里を置いて、(明日香の里から離れて)奈良の都(平城京)に行ってしまえば、あなたが住んでいるところはもう見えないのだろう。
710年に藤原京から平城京に遷都する際に詠まれた和歌です。
この「飛鳥の」は「明日香」にかかる枕詞として使われています。
枕詞とは、単体では意味を成しませんが、和歌の意味を強調したり情緒を足すため、決められた語の前において修飾したり、語調を整えたりする語の事です。
「飛鳥の」の由来は、天武天皇(中大兄皇子の弟)の時に赤い雉の贈り物を幸運の証として「朱鳥」という元号に変え、明日香にあった大宮を飛鳥 (とぶとり) の浄御原 (きよみはら) の宮と名づけたところからと言われています。
この由来、先ほどご紹介した「白雉」という元号に変わったときとかなり似ています。
※ちなみに大化の改新で有名な「大化」の後が「白雉」、さらにその1つ後の元号が「朱鳥」です。
この万葉集の和歌から「あすか」そのものを「飛鳥」と次第に表現するようになったと言われています。
難読漢字が出来る理由は「ふりがな」文化
日本語にはほかの言語にはない「ふりがな」という文化があります。
ふりがなは、難しい漢字のルビとしてだけではなく、書き手が自由な表現をするときにも用いられます。
例えば「不良」を「ワル」と読んだり、「人生」を「ライフ」とするなど、歌詞や詩によく使われます。
実は、このふりがな文化を辿ると古代日本までさかのぼることになります。
もともと日本語(和語)にはその言葉を書き記す文字がありませんでした。そして、中国から入ってきた漢字を当てはめて書き言葉を作ったという経緯があります。
つまり、外から入ってきた字にいままで話していた言葉に当てはめて読ませる、という行為をしていたということになり、これが自然と「ふりがな」のスタートラインになったのです。
だからこそ、「飛鳥」は「あすか」と読むようになることが自然だったのだと考えられます。
日本語は読み方が自由な言語
日本語はふりがな文化が息づいたもともと読み方の自由度が高い言語ということになります。
自然と枕詞をそのまま漢字に当てはめたり、意味と漢字のニュアンスが合っていれば本来は読まない読み方でも熟語として機能させたりする面白い言語と言えます。
読み方が自由な言語、と言われるとピンと来ないかもしれませんが、今でもその文化は残っています。
例えば子供の名前を付ける際には、戸籍法第50条にてしっかりと「子の名には、常用平易な文字を用いなければならない。常用平易な文字の範囲は、法務省令でこれを定める。」とされています。
しかし、つけられた名前の字の読みと名前の長さについては制限も規則も何もありません。
さらに、戸籍謄本を見ればわかるのですが、名前の読み方は戸籍には記載されません。
つまり、日本では名前の漢字変更は手続きがかなりややこしくなりますが、読みの変更の手続きは書類を出すだけで終了なのです。
これは、「飛鳥」を「あすか」と読ませる文化やそれ以前から受け継がれてきた日本語の自由さに基づいているのではないでしょうか。
これからは難読漢字のルーツや語源をしっかりと考えながら生活していくと、ロマンを感じられるかもしれませんね。
それでは最後までお読みいただきありがとうございました。